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爆撃

96式陸攻の
日本光学製照準器にも

B-29の
ノルデン照準器にも

映っていたのは

一般家屋を含む
無差別的な殺戮だ

誰も言い訳などしようがない
いや
させやしない

殺戮なのだ

日本が始め
アメリカが拡大した

それは
悪魔の仕業ではない

日本人と
アメリカ人が
計画的に行ったのだ

人間が行ったのだ











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3月13日 大阪大空襲の話 2 (過去記事)

3月13日 大阪大空襲の話 2 (過去記事)



僕のおとーさん(今も元気に生きてます)が小さい僕に話してくれた事の続き。

「あの日って何」

おとーさん:
「3月13日の夜中やった。それが大阪大空襲の日や。
空襲警報が鳴って「ホンマもんが来た。今回はあかん」って思った。
慌てた。
そら、慌ててた。
とにかく覚えている事は、防空壕や無くて、走って逃げる事を選んだんや。
なんでかな。逃げるんやって。
みんな外出るぞ!って、8人おるんや(人数不詳)。もう大慌てでね。
まあでもあの時にしたら偉いもんですよ。弟達もお母さん(僕のおばあちゃん)もおばあさんも。
布団持ち出してな、防火水槽に突っ込んで水浸しにした。
その時にね。
「ドガーーーン」ってとんでもない音が鳴った。
バッと線路見たら鉄の塊が路線の真ん中に落ちた後やった。
あれは焼夷弾の不発やと思う。(焼夷弾は親爆弾が空中で48の可燃性子爆弾に散弾して落下する)
もしかしたら、あれが爆発してたら、ワシは今ここにおらんかったかもしれん。

急がな死んでしまう!って思った次の瞬間やった。
「バーーン」て音が鳴って二軒隣の家に焼夷弾が落ちた。
一瞬で火の手が上がった。
みるみる燃え上がる。バーーと燃え盛る。
行くで!みんな走るで!って、水を含んで重くなった布団を頭に持ち上げて、みんなが一列に走った。
走ってたら、すぐに、見る見るうちに、布団が乾いて軽くなる。
辺りは全部火の海や。
どんくらい走ったやろうか。何回か防火水槽に布団を着けたんやろうか。
東へ東へ逃げた。
映画やテレビと違うからな。辺りの事はあんまり覚えてない。
必死に走った。
ホンマに不思議やな。あの中を走って逃げきったんやから。

布施にある親戚の家まで逃げた。(僕からしたらとんでもない距離。単純に地下鉄で8駅以上)

逃げてから、親戚の家に泊めてもらったけど、しばらくして、やっぱり家を見にいかなあかんから、九条へ戻った。


なんにも無かったよ。ナンにも。
家も家財道具も。箪笥も机も。商品も。
隣の家もあたり一面ナンにも。
地面と焼け焦げた跡だけや。


だからね、PIKOMASA。
けしからんよ。けしからんのやね。ワシにはアメリカが。
やった事は平等にやった事や。
アメリカは勝った。日本も馬鹿やった。
確かにこっぴどく負けた。
でもね。
九条に住んでたワシらにはな、アメリカはひどかったんや。

君がな。
君が日本のあかんかった事。よかった事。
アメリカのあかんかった事。よかった事。
しっかり平等に勉強するんや。平和の時代の青年になるんやから」

おとーさんは小さな僕に優しく語ってくれた。




【地獄になる町OSAKAの上で】

パスファインダーが投下を開始した。
投弾目標の地点に、大型焼夷弾が着弾する。
瞬時に周囲は燃え盛り、空を明るく染め始める。

群れが動き出す。
魔王の群れが震えだす。
一斉に。
整然と。
次々と魔王達の腹から、地獄の申し子たちが地上へ飛び出していく。
魔笛の音。
幾千の化身は、幾万の炎の化身に変身する。
地上に降り注ぐ。
「ザーーー」と言う地獄の雨の音。
鳴り止まない。

ノルデン照準器のグラスに、紅蓮の炎で燃え盛るOSAKAの町が映る。

何も考えてはいけない。
何も考えてはいけない。
投弾ラックが正常に起動しますように。
連動投下レバーを引く。

ああ、良かった。
正常だ。
正常だ。

何も考えてはいけない。

不発弾で無いように。
正常に爆発しますように。

何も考えてはいけない。
すぐ下の世界の事。
地獄の事。



大阪大空襲。
3月13日から14日にかけた3時間半にわたる爆撃で、4000人弱の死者と700名弱の不明者が出た。
この後、6月、7月、そして8月14日と無差別爆撃は続いた。
延べ10,000人以上とも13,000人以上とも言われる一般市民が死亡した。

6月2日の朝日新聞の記事。
6月1日に大阪で空襲があった記事において「火災は鎮火の見通し」の直ぐ後に、敵機撃墜の戦果が記載されている。
死傷者数や被害状況は、そのページには記載されていない・・・。

僕は、アメリカを非難する為にこんな日記をつけてるんや無い。
日本を非難するためにこんな日記をつけ始めたんや無い。
おとーさんが感じたリアルを残したい。そう思っただけ。

今、大阪市出身で大阪にずっと住んでいらっしゃるおとーさんの世代の方々は、この爆撃の中を生き残った方々が多くいらっしゃると思います。
僕は本当に思います。
生き残ってくださって、本当にありがとう御座います。
と。

心から僕のおとーさんと皆様に御礼申し上げます。

3月13日 大阪大空襲の話 (過去記事)

3月13日 大阪大空襲の話 (過去記事)

僕のおとーさんの思い出話。の、さわり。
結構いい加減な事とかあっても困るのでフィクションとして。

昭和2年生まれのおとーさんは、大阪市九条のタバコ屋の息子。長男。
兄弟の数は6人ぐらい(僕が詳しい数を覚えてない。幼い時にお亡くなりになった兄弟もいる)
おばーちゃんとお母さんと兄弟でたばこ屋を商いして暮らしてた。
青春時代の全ては、日本という国が戦争とは切っても切れない状況にあった時代。
終戦のときは18歳。体が弱く、戦時中の大変な中、病気で高校(当時で言う中学か)を中退
した。
体が弱くて中退したけど、寝てられない状況。電気科やったから、三菱関連の工場で電気関
係の仕事についてた。らしい。

僕は、小さい時からおとーさんの昔話がすきやった。
桃太郎とか一寸法師とかやなかった。
ゼロ戦がめっちゃ強い話。そこから負けて行く話。世界最強の戦艦大和の話。でも最後は沖
縄へ特攻する話。真珠湾攻撃。ミッドウェー海戦。大阪大空襲で散々な目にあったけどなん
とか逃げ切れた話し。そして、その時代の心情、を良く聞いた。

おとーさんの心情を聞いて育った僕は、小学校や中学校で習う「日本が起こした侵略戦争」
「帝国主義」を匂わせる歴史の授業に、ちっともピンと来なかった。
唯一「原爆はあかん」と言う事を徹底して教えられた事は幸運やった。
日本が良いなんてソラおもわへんけど「アメリカもあかんやろ!!」ってなんで言われへん
ねん!!とズーーット思ってた。
テストの問題もここら辺は殆んど出題されなかったように思う。



そんなおとーさんに、僕が小さい頃、素直にした質問。
「おとーさんの周りの人は、みんな最後まで戦争に勝つと思っとったんか?」

おとーさん:
「そらな、始めはラジオも新聞も勝った勝ったで景気のええ話ばっかりするんや。
こらいけるで。となりますわな。ところがや、結局は爆弾落され出しても景気ええ話する。
爆弾落されても勝ってると思える?思えるわけないよ。
家はタバコ屋やし、雑貨も売っとった。商売してたら戦争の具合が、ええか悪いか判らん訳
無いよ。ずっと配給制度でな配給・・。
(厳密に言うと配給制度は全ての商品ではない。また無料で配る訳では無い。この頃のたば
こ屋は平時には、本当は結構もうかる筈の業種だったらしい)
でもな、角のおっちゃんは、いつもニコニコしてこう話しよった。「大丈夫やタバコ屋さん
!連合艦隊がおるんやからな。近くに来たら一網打尽や!」って。
少なくともワシはそんな風には思われへんかった。

だいぶん経って。
いよいよヤバイんちやうか?と思った時や(多分だが3月10日の東京大空襲の後)
「タバコ屋さん。いよいよやで、神風がバーと吹いて、アメリカの戦艦が全部ひっくり返り
よるで」
(この時点で、すでに連合艦隊が決戦を行う。と言う夢すら無くなってる。もちろん東京大
空襲もしっている筈)
と言ってはった。ホンマ、どうやったらそんな事信じられるんかな?って、不思議な思いや
った。
まあ、でもそんな「日本が勝つ」って言うて来る人は、あのおっちゃんぐらいやったかな。
途中からな、みんな、ホンマはヤバイ。負けるんや。って思ってたんや。
あのおっちゃんかって、ホンマは負けるって思ってたかも知れへんな・・・・。
負けるんやって、負けたらどうなんのか。想像も出来へんし。

たばこ屋の前にはな、チンチン電車の線路が走ってたんや。線路見ながらな、よー話しては
った。みーんな大変やった。おっちゃんものんきに暮らしとった訳と違うで。オカシな人や
った訳や無いで。
もしかしたら「勝てる」って言うて、若いワシを励ましてくれてたんかも知れへんな。

でもね。
あの日。

あの夜にな、勝つとか負けるとか、ほんまに全部ふっとんだんや。」

おとーさんは静かに話すのを止めました。



【魔王達が目指した者】

劇場でも酒場でも女遊びでも、何でも楽しめる、天下の歓楽街だった、大阪九条の町並み。
灯火管制の中の町並み。
暗闇。
3日前には東京の町が火の海になっていた。
みんな知っていた。
みんな恐れていた。

昭和20年3月13日11時20分を過ぎた頃。

灯火管制の暗闇と静寂が突然打ち破られる。
ラジオが空襲警報の放送を繰り返す。
暗闇の町にサイレンが鳴り響く。

湧き出す様に逃げ惑う人々。
狭い通りも。
大通りも。
溢れる。
沸き立つ。
防空壕へ。
運河へ。

夜空に幾条ものサーチライト。
その空に映し出される。
映し出される程の高さなのだ。

低高度で進入してくる白銀の魔王達。
B-29数百の群れ。
投弾レバーを握る幾百もの手。
照準器のグラスを覗く幾百もの目。
そこには軍需工場も滑走路も岸壁も映っていない。

作戦目標:一般家屋の破壊と延焼。
投下目標:一般家屋。

投下目標:チンチン電車の線路前のたばこ屋と角のおっちゃんの家。

投下目標:おとーさんやおばーちゃん、兄弟達、そして角のおっちゃん。



17歳のおとーさんがその夜の投下目標だった。

戦後賠償の件

戦後賠償の件ってさ

「戦後70年だろうがまだ覚えてるんだよ」
っていうなら

日露戦争の講和だって
全然日本側は納得行って無かった
でも文句も言ってない

じゃあ100年150年さかのぼるなら
「アヘン戦争はどうなのよ」
って思いそうだけど
これは思わないのだわ

これはなんでかって

単純な話
世の中には
時代時代で
スケープゴートが必要

第二次大戦まで
それはドイツ一国が背負ったわけ


近代でなりえる対象

それは
世界各国が同時に戦っていた
歴史的世界大戦の
最後の敗者
ナチスドイツと日本だけ

しかも
黄色人種で
唯一白人世界をひっくり返しかけた日本は
ことさら注目の的なわけ

もっと言うと
第一次世界大戦の前から
「あいつ黄色人種のくせに生意気じゃね?」
って目をつけられてたわけ

韓国とか中国が
日本に文句言ってる事は
白人社会からしたら
「うわあめちゃラッキーやん」
「黄色い奴らがまとまらないほうが良いよね」
って事にいきつくんだ

世界が不穏な空気にのまれかけたら
極東地域で
ちょっと昔の事を思い出させるだけで
10年毎に
連合国が対話できるわけ

韓国は
実は連合国じゃないから
ことさら泡吹いて叫ぶわな

ややこしいなあ
じゃあ一応
韓国クンの話も聞いてあげて
やっぱ日本はダメって事で
まとまればいいんじゃない?

で収まるんだ

悲しいけど
これ
現実なのよね



ちなみにね
第一次世界大戦の記念式典には
戦勝国として日本も参加してるし
敗戦国の代表でドイツも参加してるのよ
これはね
強烈な
ナチスと日本っていう
スケープゴートが出てきたので
もう
過ぎた歴史
「あんなこともあったよねえ」
って言うレベルになったから


日本国の真の復権って
並大抵のことじゃないわ
ほんまに

















大阪大空襲の日

今年2012年も大阪大空襲の日3.13を迎えた。
最近のドラマ神様の女房で、在りし日の九条が映像化された。
父や叔父さん達が非常に喜ばれていた。
余計に今日の日が重く感じる。
私達は新たな哀しみである3.11を経験した。
だからこそ、
人が人を一夜のうちに、
一方的に、
一万人以上焼き殺した、
あまりにも愚かな過去を、
私たちは忘れてはいけない。

以下過去記事再掲します。


僕のおとーさんの思い出話。の、さわり。
結構いい加減な事とかあっても困るのでフィクションとして。

昭和2年生まれのおとーさんは、大阪市九条のタバコ屋の息子。長男。
兄弟の数は6人ぐらい(僕が詳しい数を覚えてない。幼い時にお亡くなりになった兄弟もいる)
おばーちゃんとお母さんと兄弟でたばこ屋を商いして暮らしてた。
青春時代の全ては、日本という国が戦争とは切っても切れない状況にあった時代。
終戦のときは18歳。体が弱く、戦時中の大変な中、病気で高校(当時で言う中学か)を中退
した。
体が弱くて中退したけど、寝てられない状況。電気科やったから、三菱関連の工場で電気関
係の仕事についてた。らしい。

僕は、小さい時からおとーさんの昔話がすきやった。
桃太郎とか一寸法師とかやなかった。
ゼロ戦がめっちゃ強い話。そこから負けて行く話。世界最強の戦艦大和の話。でも最後は沖
縄へ特攻する話。真珠湾攻撃。ミッドウェー海戦。大阪大空襲で散々な目にあったけどなん
とか逃げ切れた話し。そして、その時代の心情、を良く聞いた。

おとーさんの心情を聞いて育った僕は、小学校や中学校で習う「日本が起こした侵略戦争」
「帝国主義」を匂わせる歴史の授業に、ちっともピンと来なかった。
唯一「原爆はあかん」と言う事を徹底して教えられた事は幸運やった。
日本が良いなんてソラおもわへんけど「アメリカもあかんやろ!!」ってなんで言われへん
ねん!!とズーーット思ってた。
テストの問題もここら辺は殆んど出題されなかったように思う。




そんなおとーさんに、僕が小さい頃、素直にした質問。
「おとーさんの周りの人は、みんな最後まで戦争に勝つと思っとったんか?」

おとーさん:
「そらな、始めはラジオも新聞も勝った勝ったで景気のええ話ばっかりするんや。
こらいけるで。となりますわな。ところがや、結局は爆弾落され出しても景気ええ話する。
爆弾落されても勝ってると思える?思えるわけないよ。
家はタバコ屋やし、雑貨も売っとった。商売してたら戦争の具合が、ええか悪いか判らん訳
無いよ。ずっと配給制度でな配給・・。
(厳密に言うと配給制度は全ての商品ではない。また無料で配る訳では無い。この頃のたば
こ屋は平時には、本当は結構もうかる筈の業種だったらしい)
でもな、角のおっちゃんは、いつもニコニコしてこう話しよった。「大丈夫やタバコ屋さん
!連合艦隊がおるんやからな。近くに来たら一網打尽や!」って。
少なくともワシはそんな風には思われへんかった。

だいぶん経って。
いよいよヤバイんちやうか?と思った時や(多分だが3月10日の東京大空襲の後)
「タバコ屋さん。いよいよやで、神風がバーと吹いて、アメリカの戦艦が全部ひっくり返り
よるで」
(この時点で、すでに連合艦隊が決戦を行う。と言う夢すら無くなってる。もちろん東京大
空襲もしっている筈)
と言ってはった。ホンマ、どうやったらそんな事信じられるんかな?って、不思議な思いや
った。
まあ、でもそんな「日本が勝つ」って言うて来る人は、あのおっちゃんぐらいやったかな。
途中からな、みんな、ホンマはヤバイ。負けるんや。って思ってたんや。
あのおっちゃんかって、ホンマは負けるって思ってたかも知れへんな・・・・。
負けるんやって、負けたらどうなんのか。想像も出来へんし。

たばこ屋の前にはな、チンチン電車の線路が走ってたんや。線路見ながらな、よー話しては
った。みーんな大変やった。おっちゃんものんきに暮らしとった訳と違うで。オカシな人や
った訳や無いで。
もしかしたら「勝てる」って言うて、若いワシを励ましてくれてたんかも知れへんな。

でもね。
あの日。

あの夜にな、勝つとか負けるとか、ほんまに全部ふっとんだんや。」

おとーさんは静かに話すのを止めました。




【魔王達が目指した者】

劇場でも酒場でも女遊びでも、何でも楽しめる、天下の歓楽街だった、大阪九条の町並み。
灯火管制の中の町並み。
暗闇。
3日前には東京の町が火の海になっていた。
みんな知っていた。
みんな恐れていた。

昭和20年3月13日11時20分を過ぎた頃。

灯火管制の暗闇と静寂が突然打ち破られる。
ラジオが空襲警報の放送を繰り返す。
暗闇の町にサイレンが鳴り響く。

湧き出す様に逃げ惑う人々。
狭い通りも。
大通りも。
溢れる。
沸き立つ。
防空壕へ。
運河へ。

夜空に幾条ものサーチライト。
その空に映し出される。
映し出される程の高さなのだ。

低高度で進入してくる白銀の魔王達。
B-29数百の群れ。
投弾レバーを握る幾百もの手。
照準器のグラスを覗く幾百もの目。
そこには軍需工場も滑走路も岸壁も映っていない。

作戦目標:一般家屋の破壊と延焼。
投下目標:一般家屋。

簡単に言うと。
投下目標:チンチン電車の線路前のたばこ屋と角のおっちゃんの家。
投下目標:おとーさんやおばーちゃん、兄弟達、そして角のおっちゃん。

17歳のおとーさんが
その夜の投下目標だった。



……………………




僕のおとーさん(今も元気に生きてます)が小さい僕に話してくれた事の続き。

「あの日って何」

おとーさん:
「3月13日の夜中やった。それが大阪大空襲の日や。
空襲警報が鳴って「ホンマもんが来た。今回はあかん」って思った。
慌てた。
そら、慌ててた。
とにかく覚えている事は、防空壕や無くて、走って逃げる事を選んだんや。
なんでかな。逃げるんやって。
みんな外出るぞ!って、8人おるんや(人数不詳)。もう大慌てでね。
まあでもあの時にしたら偉いもんですよ。弟達もお母さん(僕のおばあちゃん)もおばあさんも。
布団持ち出してな、防火水槽に突っ込んで水浸しにした。
その時にね。
「ドガーーーン」ってとんでもない音が鳴った。
バッと線路見たら鉄の塊が路線の真ん中に落ちた後やった。
あれは焼夷弾の不発やと思う。(焼夷弾は親爆弾が空中で48の可燃性子爆弾に散弾して落下する)
もしかしたら、あれが爆発してたら、ワシは今ここにおらんかったかもしれん。

急がな死んでしまう!って思った次の瞬間やった。
「バーーン」て音が鳴って二軒隣の家に焼夷弾が落ちた。
一瞬で火の手が上がった。
みるみる燃え上がる。バーーと燃え盛る。
行くで!みんな走るで!って、水を含んで重くなった布団を頭に持ち上げて、みんなが一列に走った。
走ってたら、すぐに、見る見るうちに、布団が乾いて軽くなる。
辺りは全部火の海や。
どんくらい走ったやろうか。何回か防火水槽に布団を着けたんやろうか。
東へ東へ逃げた。
映画やテレビと違うからな。辺りの事はあんまり覚えてない。
必死に走った。
ホンマに不思議やな。あの中を走って逃げきったんやから。

布施にある親戚の家まで逃げた。(僕からしたらとんでもない距離。単純に地下鉄で8駅以上)

逃げてから、親戚の家に泊めてもらったけど、しばらくして、やっぱり家を見にいかなあかんから、九条へ戻った。


なんにも無かったよ。ナンにも。
家も家財道具も。箪笥も机も。商品も。
隣の家もあたり一面ナンにも。
地面と焼け焦げた跡だけや。


だからね、マー君。
けしからんのよ。けしからんのやね。ワシにはアメリカが。
やった事は平等にやった事や。
アメリカは勝った。日本も馬鹿やった。
確かにこっぴどく負けた。
でもね。
九条に住んでたワシらにはな、アメリカはひどかったんや。

マー君がな。
君が日本のあかんかった事。よかった事。
アメリカのあかんかった事。よかった事。
しっかり平等に勉強するんや。平和の時代の青年になるんやから」

おとーさんは小さな僕に優しく語ってくれた。





【地獄になる町OSAKAの上で】

パスファインダーが投下を開始した。
投弾目標の地点に、大型焼夷弾が着弾する。
瞬時に周囲は燃え盛り、空を明るく染め始める。

群れが動き出す。
魔王B-29の群れが震えだす。
一斉に。
整然と。
次々と魔王達の腹から、地獄の申し子たちが地上へ飛び出していく。
魔笛の音。
幾千の化身は、幾万の炎の化身に変身する。
地上に降り注ぐ。
「ザーーー」と言う地獄の雨の音。
鳴り止まない。

魔王の頭脳には人がいる。
魔王は人が操る。

機上。
若い投弾手はわざと何も考えない。
訓練と同じだ。
下には何も無い。
そう思うのだ。

ノルデン照準器のグラスに、紅蓮の炎で燃え盛るOSAKAの町が映る。

何も考えてはいけない。
何も考えてはいけない。
投弾ラックが正常に起動しますように。
連動投下レバーを引く。

ああ、良かった。
正常だ。
正常だ。

何も考えてはいけない。

不発弾で無いように。
正常に爆発しますように。

何も考えてはいけない。
すぐ下の世界の事。
地獄の事。

神よ。
私の仕事に間違いがありません様に。
私をお守り下さい。






大阪大空襲。
3月13日から14日にかけた3時間半にわたる爆撃で、4000人弱の死者と700名弱の不明者が出た。
この後、6月、7月、そして8月14日と無差別爆撃は続いた。
延べ10,000人以上とも13,000人以上とも言われる一般市民が死亡した。

6月2日の朝日新聞の記事。
6月1日に大阪で空襲があった記事において「火災は鎮火の見通し」の直ぐ後に、敵機撃墜の戦果が記載されている。
死傷者数や被害状況は、そのページには記載されていない・・・。

僕は、アメリカを非難する為にこんな日記をつけてるんや無い。
日本を非難するためにこんな日記をつけ始めたんや無い。
おとーさんが感じたリアルを残したい。そう思っただけ。

今、大阪市出身で大阪にずっと住んでいらっしゃるおとーさんの世代の方々は、この爆撃の中を生き残った方々が多くいらっしゃると思います。
僕は本当に思います。
生き残ってくださって、本当にありがとう御座います。
と。

心から僕のおとーさんと皆様に御礼申し上げます。


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