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1月17日の記憶(1995年)

僕はこういう事で嘘は言いません。
自分を特殊に考えたりしません。
虫の知らせとか感じた事もありません。
でも。
一つだけ理由が見つからない。
16年経った今も記憶がハッキリとしている。
自分の周りで同じ事が起こった友人はいない。
特別な事が起こりました。
それが僕の阪神淡路大震災の始まりでした。



1995年1月17日 5時46分52秒。
この悪夢を迎える少し前に僕は起きた。
東大阪市内の実家で。
ガバッと起きた。
「うわ!」っと叫んで。

僕は、絶対にそんな起き方をしない。
寝る事が趣味で。
朝、目が覚める事が何より嫌な僕。

何故起きたかと言うと。
「閃光」が迸ったからだ。
僕は二階の部屋で東の窓に頭を向けて寝ていた。
迎えには民家がある。
東は生駒山がある方向。
その窓が音も無く、凄まじく光ったからだ。

起きた僕は、体をまげて、じっと窓を見つめていた。
「雷なら音が聞こえてくるはずやな」
と。

するとホントに音が聞こえて来た。
イメージと全く違う音。
初めて聞く音。
悪魔がうめく様な音。
ゴゴゴという地鳴り。

自分が恐怖を感じた瞬間。
強烈な振動が始まった。
そして。
振動はギアを変える様に。
縦だか横だかに蠢く。

「うおおおおお!」
僕は強烈に叫んだ。
右にある階段の柱に右腕を回し抱きついた。
止まらない。
全然止まらない。
一階からオカンの叫び声が聞こえる。
「こら!!はよ降りてこな危ないで!!」
僕が叫ぶ。
「降りれるか!!あほ!!ヤバイぞこれ!!」

揺れが緩やかに治まった後も。
僕の鼓動は限界を超えていた。
(東大阪市は震度5を記録した)

「これはヤバい。緊急出動が入る」
僕はすぐに一階へ下り、会社の宿直者へ電話を入れた。
事務所は大丈夫なのが分かった。
しかし何処でどういう被害が出たかは分かるはずも無かった。

それ以後しばらく。
特別に緊急召集がかかる訳でもなく再び眠りに就いた。
起きても。
どうも両親が語る地震の規模も地域も要領を得ない。

念の為に早めに事務所へ向かった。
事務所には部長が一人立っていた。
「遅い!!」とすぐさま僕を叱責。
「お前は5件担当!車使え!!」
と、ズラッと顧客ファイルを渡された。
「最後は尼崎や。気をつけろよ!」

どうも神戸がヤバいらしい。
と部長に言われた。

僕は言われるがままに出発した。
カーラジオが状況を報道していたはずだが覚えが無い。
東大阪や豊中をまわるにつれ。
あちこちで壁が剥がれていたり。
ブロックが壊れていた。
「ああトンデモナイなこりゃ」
「そらあの揺れやからな」

僕はこの時。
「これが災害の基準だ」と感じていたと思う。
設備も比較的損傷は軽微だった。
渋滞が続く道路の中で、さらに西を目指し。
ようやく尼崎に入った。

少し何かの雰囲気が変わった。
建物の壊れ方が少し酷い様な気がしてくる。
しかしながら。
たまたま。
僕が行った現場は酷い破損が無かった。
任務完了。
東に向けて帰ろう。
この時。
並走していた車のドライバーが印象的だった。
赤信号かで陸橋の上で停車した時。
突然余震が襲ってきた。

ふと横を見た。
隣のドライバーを見た。
「何とも言えない様な恐怖の表情」
そういう表情をしていた。

ラジオの報道で。
死傷者の数がどんどん増えて行くのが。
この辺りから耳に付き出した。
夕方になっていた。
「何かが違う。何か恐ろしい」
こう感じ始めていた。
あのドライバーは西から来た。
あのドライバーは神戸から来たのではないか。

結果と情報を報告しようと。
淀屋橋の事務所に立ち寄った。
実は情報が欲しかった。
何が起こっているのか。
不安で仕方無かった。

淀屋橋の事務所にはテレビが設置されていた。
僕が事務所に入ると皆が労いをかけてくれた。
そしてそこに。
想像もつかない映像が映っていた。

なにこれ。
神戸の映像か。
なにこれ。
高速道路か。
深井の当たりなんか。

社員にも未だに連絡が付かない者がいる。
それも複数人だと知った。

予想を遥かに超えていた。
予想を遥かに超えた災害が自分の近くにあった。
僕は暫く愕然とした。

「明日は行ける者は神戸へ行く」

部長からの指示があり。
僕は翌日。
長田方面へ行く事になった。

この翌日。
18日。
僕は。
一生忘れる事の出来ない光景を。
命に刻む事になった。

そして。
それから以後も。
長らく。
僕たちは神戸に通い続けた。

しかし。

僕たちは誰も文句は言わなかった。

不思議だった。






















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う~ん・・・

おはようございます。
ピコさんの体験、壮絶だったみたいですね。
あの状況の神戸に入っていかれた方の話は今まで聞いたことがありません。
多分僕ならよう行かんように思う・・・。

またピコさんがお話できる範囲で、ぼちぼちとお話聞かせてください。

No title

素楽さん。
大そうに書きましたが。僕と僕達はあんまりにも無力でしたわ。
会社として出来る事も限られていたし。それこそ傍観する事しか出来なかったです。
またこんな事も含めて話したいですね。
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